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ほめない方がいいと思う

アドラー心理学では「ほめる」ことと「勇気づける」ことを区別して考え、『ほめない・叱らない・勇気づける』教育をお勧めします。

このことに関して、ご質問戴くことが多いので
書いておこうと思います。(*^_^*)

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まず、
「勇気づけ」を定義づけると
「困難を克服する活力を与えること」
「リスクをも引き受け、他者と協力できる能力を与えること」

となります。
私はこれにつけ加えて
「ほっとする・安心する対応」
も、ひいては勇気づけに繋がると考えています。

子どもを信頼し
その中に良いものを見つけられる人が勇気づけできる人です。

勇気づけは相互尊敬と相互信頼の関係の中で
正しく作用します。
(これについては長くなるので、別の機会に)

考えることに自由と勇気づけがある雰囲気の中で
子どもは自信を高め、創造的に考える能力を成長させるのです。

・・・ピンときますかね?

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「勇気づけ」が「ほめる」とどう違うか考えてみます。

「褒める」という行為が上から下への評価的態度から
結果に対して与えられるものだとすると
これは明らかに「勇気づけ」とは異なります。

なぜなら「勇気づけ」は
対等の(横の)関係から
共感的にありのままの相手に与えられるもの
だからです。

結果は重要ではありません。

相手の関心に関心を持って
成功したときだけでなく
失敗したときにも
あらゆる状況の中で「勇気づけ」は可能です。

相手の行為に対し
そのプロセスに注目し
心から認められるポジティブな側面を勇気づけるのです。

一方「ほめる」というのは
与える側の関心で
一種の褒美として
上下の関係で発生するものです。

ほめるという行為は
行為の結果とそれをした子どもを結び付けて与えられます。
「優勝するなんてえらいね」(優勝できる=あなたは偉い)
「成績が上がったのか、良し!」(成績が上がる=良い子)
「これができるなんてスゴイ」(できる=スゴイ子)
というような感じでしょうか。

ほめられて育った子は
他者との競争や他者の評価を意識するようになってしまいます。
つまり
「ほめられた。だから自分には価値がある」
「ほめられなかった。結局自分はダメだったのか」
というように。

ほめる人は、叱ることもある人ではないでしょうか。
ほめる一方で叱ることをすれば
せっかくほめたことは口先だけの建前で
叱ったことこそが本心だと受け止められかねません。

「勇気づけ」には明日への意欲を引き出し

継続性がありますが

「ほめる」行為には

その場の満足感を刺激できたとしても

明日への意欲は生まれにくいのです。

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「ほめて育てる」
という言葉があります。
私はこれを否定しません。

「ほめる」という言葉の意味する行為が
子どもにとって対等の関係で明日への意欲を生みだすことができたら
それは「勇気づけ」として作用したと考えられるからです。

 しかし、子どもの行為の結果だけを見て「ほめたり叱ったり」する接し方はよくありません。

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検定試験に合格したAくんには
「嬉しそうだね。数字もきちんと書こうと意識できるようになったね」と。

惜しくも不合格だったBちゃんには
「ガッカリしているのかな?くやしいね。一生懸命取り組んだのにね」と。
その後のBちゃんの言葉が出るまで待ってあげましょう。

アドバイスは「どうしたらいい?」と聞かれたときにすれば良いのです。
「私の考えを知りたい?」
と、ちょっと出し惜しみするくらいで調度いいと思います。
「うん」と言われたら「ありがとう」も忘れずに。


 子どもが求めているのは

 アドバイスなんかではなく

 評価でもなく

 「共感」してもらえること

 つまり、自分はこれでいいのだと

 勇気づけられることなのです。







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プロフィール

池田彰子

Author:池田彰子
アドラー心理学、日常、ココロの中などを綴っていこうと思います。