そろばんも アドラー心理学で考える!
- 2016/02/25
- 01:08
本当の「学び」とは
自分を豊かにし
社会に活かせるよう発展させることだと考えています。
と、昨日のブログに書きました。
私は珠算塾を経営していますので( *´艸`)
今回は、珠算と「学び」がどうつながるのか
どう繋げていくのか考えてみます。

珠算と「学び」のつながりはどうでしょう。
珠算式暗算が右脳左脳の双方を活性化させるという研究結果があることは
多くの方がご存知だと思います。
この活動によって、脳の働きは良くなるということです。
イメージとして、珠算は脳の器を大きくするという人もいます。
獲得する知識の量や処理のスピードに違いができるでしょう。
これらについては研究が進んでいますね。
そろばんを使って算数を丁寧に指導する教室では
子どもたちは発達に合わせて
数の概念を獲得し、数学的思考力を伸ばしていきます。
「計算」だけに特化しない珠算教育は
算数全般を興味深いものとして
子どもたちに味わってもらえるものだと考えています。
インプットだけでなく、アウトプットもある
珠算教室があるのです。(*^_^*)ココニモ
ここではこどもたちはなぜその答えに行きついたかを
計算の仕方ではなく、数理と量感覚で
説明することができるのです。
思考力が高くなりますね。
先生と生徒の関係はどうでしょう。
徒弟制度が根強く残っていると感じます。
アドラー心理学では
子どもたちの意欲を育てるためには
「横の関係」が必要だしています。
徒弟制度は「横の関係」と矛盾するようですが
そうではありません。
文化人類学では徒弟制度における学びに注目する動きも出ています。
伝統的な文化活動の中での師匠と弟子の関係や
そこで起こっている対話・やり取りや
社会構造のあり方が注目されています。
学びの課程で
ものやひと
自分自身と向き合うことは
非常に大切です。
珠算塾には
学びに使われる「算盤(=もの)」や進級制度があり
生徒同士の中にも階級がありますが、それにこだわる子どもはいません。
教室の中では取得級も段位も学年も超えた
異年齢・異能力(?)の子どもたち(=ひと)が対等な関係の共同体を形成しています。
先生(=ひと)も「何が何でも従え」というお師匠さんとは違います。
学びの先導者として必要な仕事をしています。
初歩の生徒は先生に教わって発見し
自分で考えて理解し
質問に答えて習熟していきます。
上級の生徒は先生の教えに従って
練習を積むことで腕を上げて行きます。
教室の中には「学びの共同体」が形成されています。
そこに、生徒がある役割を持って参加する過程に「学び」が存在するのです。
それは、選手活動におけるチームワークであったり
先生とのやり取りの中でのアウトプット(質問に答える)や
友だち同士の対話(教える・教わる)であるかもしれません。
珠算学習から得る「学び」は
個人の頭の中だけで起こる個人的な活動ではないのです。
そうでなければそこに「学び」は存在し得ません。
子どもはみんな尊敬・信頼すべき価値ある存在です。
そのことを師匠である私たちがきちんと知り
礼節をもって接すれば
横の関係の徒弟制度が築けるのではないでしょうか。
新しい関係です。
生徒同士の繋がりも
先生のアレンジ次第で相乗効果を生み
子どもたちは上達し
珠算が好きになります。
・゜’☆ :*:・:*:・゜’☆ ,。・:*:・ ゜★,。・
人生のいかなる場でも
アドラー心理学の鍵である「共同体」の観念は不可欠です。
自分を豊かにし
社会に活かせるよう発展させることだと考えています。
と、昨日のブログに書きました。
私は珠算塾を経営していますので( *´艸`)
今回は、珠算と「学び」がどうつながるのか
どう繋げていくのか考えてみます。

珠算と「学び」のつながりはどうでしょう。
珠算式暗算が右脳左脳の双方を活性化させるという研究結果があることは
多くの方がご存知だと思います。
この活動によって、脳の働きは良くなるということです。
イメージとして、珠算は脳の器を大きくするという人もいます。
獲得する知識の量や処理のスピードに違いができるでしょう。
これらについては研究が進んでいますね。
そろばんを使って算数を丁寧に指導する教室では
子どもたちは発達に合わせて
数の概念を獲得し、数学的思考力を伸ばしていきます。
「計算」だけに特化しない珠算教育は
算数全般を興味深いものとして
子どもたちに味わってもらえるものだと考えています。
インプットだけでなく、アウトプットもある
珠算教室があるのです。(*^_^*)ココニモ
ここではこどもたちはなぜその答えに行きついたかを
計算の仕方ではなく、数理と量感覚で
説明することができるのです。
思考力が高くなりますね。
先生と生徒の関係はどうでしょう。
徒弟制度が根強く残っていると感じます。
アドラー心理学では
子どもたちの意欲を育てるためには
「横の関係」が必要だしています。
徒弟制度は「横の関係」と矛盾するようですが
そうではありません。
文化人類学では徒弟制度における学びに注目する動きも出ています。
伝統的な文化活動の中での師匠と弟子の関係や
そこで起こっている対話・やり取りや
社会構造のあり方が注目されています。
学びの課程で
ものやひと
自分自身と向き合うことは
非常に大切です。
珠算塾には
学びに使われる「算盤(=もの)」や進級制度があり
生徒同士の中にも階級がありますが、それにこだわる子どもはいません。
教室の中では取得級も段位も学年も超えた
異年齢・異能力(?)の子どもたち(=ひと)が対等な関係の共同体を形成しています。
先生(=ひと)も「何が何でも従え」というお師匠さんとは違います。
学びの先導者として必要な仕事をしています。
初歩の生徒は先生に教わって発見し
自分で考えて理解し
質問に答えて習熟していきます。
上級の生徒は先生の教えに従って
練習を積むことで腕を上げて行きます。
教室の中には「学びの共同体」が形成されています。
そこに、生徒がある役割を持って参加する過程に「学び」が存在するのです。
それは、選手活動におけるチームワークであったり
先生とのやり取りの中でのアウトプット(質問に答える)や
友だち同士の対話(教える・教わる)であるかもしれません。
珠算学習から得る「学び」は
個人の頭の中だけで起こる個人的な活動ではないのです。
そうでなければそこに「学び」は存在し得ません。
子どもはみんな尊敬・信頼すべき価値ある存在です。
そのことを師匠である私たちがきちんと知り
礼節をもって接すれば
横の関係の徒弟制度が築けるのではないでしょうか。
新しい関係です。
生徒同士の繋がりも
先生のアレンジ次第で相乗効果を生み
子どもたちは上達し
珠算が好きになります。
・゜’☆ :*:・:*:・゜’☆ ,。・:*:・ ゜★,。・
人生のいかなる場でも
アドラー心理学の鍵である「共同体」の観念は不可欠です。