夢?別にないよ と言う人でした
- 2021/09/05
- 11:51
みなさまこんにちは
Aloha!
ログインの仕方も登場の仕方も忘れるほど
ほったらかしにしていたブログですが、
お読みいただきありがとうございます。
どんな方と繋がっているのかな?

さて、
私はずっと、
「夢?そんなもんないよ」
「現実を生きる!」
「育児と仕事が趣味」
って言い続けてきたし、
もちろん本気でそう言っていました。
根がポジティブなんです。
「今」を肯定することで幸福感を保っていました。
もちろん、それ自体は悪いことじゃないと思います。
コーチングを自分から望んで受けても
「なんの制約もなかったら」って文言にカチンときたり、
「将来の夢がない若者」
というタイトルに「だから何?普通じゃん」って思ったり。
実は(その時は気づいていない)
「なんの制約もない」自分をイメージできなかった。
たくさんの制約の中で長いこと生きていたから。
想像したあとで、現実に戻るのが辛すぎた。
一方で私はファンタジーが大好き。
本当はなんの制約もない世界に憧れていたんだね〜。
恨み節と受け取って欲しくはないのですが
母親の育て方が子どもの私にとっては非常にキツく、
第一子で真面目で思いやりのある私が選択した方法は
「親に従う」
つまり、「制約の中で生きる」
というものだったのです。
とはいえ、
「自由」とか「創造」という
言葉にあこがれ、
それを表現したいと思っても
「反抗」と「まねごと」しか
できなかった。

そんなこと、自分では気づきません。
自分は自由だと思っていたし、
クリエイティブな脳を持っていると思っていましたよ。
ずっと。ずっと。
だけど、いつからか(母の没後だな)
少しずつ違和感を感じ始め、
でも言葉にはならず。
だけど、あるとき(Hawaiiだな)
ガーンって気づく。
ああ、私は私でいいんだ
誰も私に要求しない
誰も私を決められない
誰に合わせる必要もない
・・・ってことに。
自分で自分を繕っていたことに。
そう、ボロボロでした。
やり方を間違っていたからね。

今は本当に自由に考えられるようになったと思っています。
今コロナ禍で社会的な制約はあるし、
もちろんそれには賛同していますけど、
私は私の力で
まだまだ自由になれるんだって
今、夢を持って生きています。
「やりたいことなんてない」
という人、やりたいことをやってみなかったんじゃないかな?
またはやったけど認められなかったり
やったけど否定されたり
私みたいに。
「夢なんかない」
という人、誰かの価値で生きてきたんじゃないかな?
私みたいに。
他者がどう言っても、どう思っても、
それはそれとして
あなたはどうしたいの?ってことを
ちゃんと向き合ってじっくり考える時間があるといいね。
大人になると時間がないという人がいるけど、
私は子どもも大人も同じように時間を持っていると思うし、
物理的にもそうでしょう。
子どもの時間、とっても大事です。
大人の時間だって、とっても大事です。
その時間を「制約」にしてしまったのは
誰?なぜ?
なんてことを考えても良いんじゃないかな〜
今はたくさん時間があるはずだから!
取り止めもない話ですが
お読みいただきありがとうございました。
またね!
Mahalo!(ハワイ語で「ありがとう」)
Aloha!
ログインの仕方も登場の仕方も忘れるほど
ほったらかしにしていたブログですが、
お読みいただきありがとうございます。
どんな方と繋がっているのかな?

さて、
私はずっと、
「夢?そんなもんないよ」
「現実を生きる!」
「育児と仕事が趣味」
って言い続けてきたし、
もちろん本気でそう言っていました。
根がポジティブなんです。
「今」を肯定することで幸福感を保っていました。
もちろん、それ自体は悪いことじゃないと思います。
コーチングを自分から望んで受けても
「なんの制約もなかったら」って文言にカチンときたり、
「将来の夢がない若者」
というタイトルに「だから何?普通じゃん」って思ったり。
実は(その時は気づいていない)
「なんの制約もない」自分をイメージできなかった。
たくさんの制約の中で長いこと生きていたから。
想像したあとで、現実に戻るのが辛すぎた。
一方で私はファンタジーが大好き。
本当はなんの制約もない世界に憧れていたんだね〜。
恨み節と受け取って欲しくはないのですが
母親の育て方が子どもの私にとっては非常にキツく、
第一子で真面目で思いやりのある私が選択した方法は
「親に従う」
つまり、「制約の中で生きる」
というものだったのです。
とはいえ、
「自由」とか「創造」という
言葉にあこがれ、
それを表現したいと思っても
「反抗」と「まねごと」しか
できなかった。

そんなこと、自分では気づきません。
自分は自由だと思っていたし、
クリエイティブな脳を持っていると思っていましたよ。
ずっと。ずっと。
だけど、いつからか(母の没後だな)
少しずつ違和感を感じ始め、
でも言葉にはならず。
だけど、あるとき(Hawaiiだな)
ガーンって気づく。
ああ、私は私でいいんだ
誰も私に要求しない
誰も私を決められない
誰に合わせる必要もない
・・・ってことに。
自分で自分を繕っていたことに。
そう、ボロボロでした。
やり方を間違っていたからね。

今は本当に自由に考えられるようになったと思っています。
今コロナ禍で社会的な制約はあるし、
もちろんそれには賛同していますけど、
私は私の力で
まだまだ自由になれるんだって
今、夢を持って生きています。
「やりたいことなんてない」
という人、やりたいことをやってみなかったんじゃないかな?
またはやったけど認められなかったり
やったけど否定されたり
私みたいに。
「夢なんかない」
という人、誰かの価値で生きてきたんじゃないかな?
私みたいに。
他者がどう言っても、どう思っても、
それはそれとして
あなたはどうしたいの?ってことを
ちゃんと向き合ってじっくり考える時間があるといいね。
大人になると時間がないという人がいるけど、
私は子どもも大人も同じように時間を持っていると思うし、
物理的にもそうでしょう。
子どもの時間、とっても大事です。
大人の時間だって、とっても大事です。
その時間を「制約」にしてしまったのは
誰?なぜ?
なんてことを考えても良いんじゃないかな〜
今はたくさん時間があるはずだから!
取り止めもない話ですが
お読みいただきありがとうございました。
またね!
Mahalo!(ハワイ語で「ありがとう」)