がんばらないでさ〜
- 2018/04/06
- 01:14
私たちは、この世に生を受けて
親やきょうだいから多くの影響を受け、
環境からも影響を受けて、
だいたい10歳くらいまでに
ライフスタイルという
人生の地図のようなものを自分で形成します。
これは、何か問題が目の前に立ちはだかった時に
どんな手段でどっちの方向から切り抜けようか
という、「性格」のようなものです。
ふだんも特別意識しないままに
私たちは自分のライフスタイルを使いながら暮らしています。
性格は変わらない
というのがよく言われることですが、
本当に困ったり、その気になったりすれば変えられる
というのが、アドラー心理学の見解です。
「ライフスタイル」という名称も、自分で変えられそうですよね。
私は、アドラー心理学に出会って
自分のライフスタイルは部分的に大きく変わったと思っています。
ココロの声を無視した窮屈なライフスタイルだったので
手放した方がいいと思ったからです。
だけど、今日は
「そのライフスタイル、変えなくたっていいじゃん?」
という話をしようと思います。
だって、子どもの頃からずっとそれを使って生きてきたのです。
その扱いにも慣れたものです。
失敗したって、そのあとどうすればいいか、ちゃんと知ってるんです。
だったら、いいじゃない、そのままで。
と、私は思うのです。
「完璧主義なの」
多少の不便があるでしょう。
周囲に少なからず迷惑かけるでしょう。
「依存的なの」
多少の不便があるでしょう。
周囲に少なからず迷惑かけるでしょう。
「自分勝手なの」
以下同文
「頑固なの」
以下同文
「お節介なの」
「消極的なの」
「頑張りすぎちゃうの」
以下同文〜!
どんなライフスタイル(性格)でも、以下同文。
明るくても暗くても、
自立していても依存的でも
能動的でも受動的でも
多少の不便があるのです。
周囲に少なからず迷惑かけちゃうの。
それが人間。
変えなくて、いいんじゃないの?
そのままでうまく行く方法を工夫してみたらいいんじゃないの?
それは、コミュニケーションとか、ものの見方とか。
機関車のようにシュッシュシュッシュとよく動くのが好きならば
無理にリラックスしなくていい。
たま〜に、くたびれたらちゃんと休めばいい。
毎日食べて、寝て、遊んでいれば
いっぱい仕事しても、あっちこっち動き回ってもいいんだよ、あなたは。
家の中でじ〜っとしているのが好きならば
無理に元気にしなくていい。
たま〜に気の合うお友だちに会って、話しをすればいい。
毎日食べて、寝て、好きにしていれば
漫画読んでても、ゲームしててもいいんだよ、あなたは。
誰かに甘えるのが好きならば
無理に自立しなくていい。
たま〜に大好きな人を甘えさせてあげればいい。
毎日食べて、寝て、大好きな人と一緒にいれば
甘えても、うるうるしててもいいんだよ、あなたは。
なんでもきちんとするのがすきならば
無理におおらかにしなくたってい。
たま〜に誰かの失敗をニコッと笑って見過ごせばいい。
毎日食べて、寝て、笑顔を忘れなければ
自分に厳しくしても、気が済むまでやってもいいんだよ、あなたは。
生産性とか発展とか業績(成績)とか人は言うけれど、
人生全体の中でバランスとっていればいいんじゃないかな。
みんな、何かにとらわれ過ぎだよ。
よくなろうとし過ぎだよ。
いい子 いい親 いい大人・・・
やり過ぎはやらないよりよくないよ。
そんなにがんばらないでさ〜
私たちはもっと自由でいい。
秩序を乱しちゃいけないけれど
自分のココロやライフスタイルを大切にして、
ココロの声を聴いて(聴こえない人は感じて)
ライフスタイルに添う方法で解決していけばいい。
自分にとっての最善は
誰かのそれとは違うけど
そんなの「あったりまえじゃん!」
違う人間なんだから。
笑っちゃえばいい。
そして、あなたはあなたのままで、本当にココロが喜ぶやり方で生きていけばいい。
元気になったら、勇気が湧いて、誰かを勇気づけられるようになるから。
誰かのために、何かのために行動したくなるから。
いろんな人がいる社会の方が豊かだと思う。
いろんな価値観がある世界の方が豊かだと思う。
自分が人と違うことを認めて
人は自分と違うことを認めて
許し合おうよ。受け入れようよ。
そうやって生きてみて、
それでもやっぱり窮屈だなって困ったなって崖っぷちだなって思ったら
ライフスタイルはいつでも変えられるんです。
それからでも遅くない。

親やきょうだいから多くの影響を受け、
環境からも影響を受けて、
だいたい10歳くらいまでに
ライフスタイルという
人生の地図のようなものを自分で形成します。
これは、何か問題が目の前に立ちはだかった時に
どんな手段でどっちの方向から切り抜けようか
という、「性格」のようなものです。
ふだんも特別意識しないままに
私たちは自分のライフスタイルを使いながら暮らしています。
性格は変わらない
というのがよく言われることですが、
本当に困ったり、その気になったりすれば変えられる
というのが、アドラー心理学の見解です。
「ライフスタイル」という名称も、自分で変えられそうですよね。
私は、アドラー心理学に出会って
自分のライフスタイルは部分的に大きく変わったと思っています。
ココロの声を無視した窮屈なライフスタイルだったので
手放した方がいいと思ったからです。
だけど、今日は
「そのライフスタイル、変えなくたっていいじゃん?」
という話をしようと思います。
だって、子どもの頃からずっとそれを使って生きてきたのです。
その扱いにも慣れたものです。
失敗したって、そのあとどうすればいいか、ちゃんと知ってるんです。
だったら、いいじゃない、そのままで。
と、私は思うのです。
「完璧主義なの」
多少の不便があるでしょう。
周囲に少なからず迷惑かけるでしょう。
「依存的なの」
多少の不便があるでしょう。
周囲に少なからず迷惑かけるでしょう。
「自分勝手なの」
以下同文
「頑固なの」
以下同文
「お節介なの」
「消極的なの」
「頑張りすぎちゃうの」
以下同文〜!
どんなライフスタイル(性格)でも、以下同文。
明るくても暗くても、
自立していても依存的でも
能動的でも受動的でも
多少の不便があるのです。
周囲に少なからず迷惑かけちゃうの。
それが人間。
変えなくて、いいんじゃないの?
そのままでうまく行く方法を工夫してみたらいいんじゃないの?
それは、コミュニケーションとか、ものの見方とか。
機関車のようにシュッシュシュッシュとよく動くのが好きならば
無理にリラックスしなくていい。
たま〜に、くたびれたらちゃんと休めばいい。
毎日食べて、寝て、遊んでいれば
いっぱい仕事しても、あっちこっち動き回ってもいいんだよ、あなたは。
家の中でじ〜っとしているのが好きならば
無理に元気にしなくていい。
たま〜に気の合うお友だちに会って、話しをすればいい。
毎日食べて、寝て、好きにしていれば
漫画読んでても、ゲームしててもいいんだよ、あなたは。
誰かに甘えるのが好きならば
無理に自立しなくていい。
たま〜に大好きな人を甘えさせてあげればいい。
毎日食べて、寝て、大好きな人と一緒にいれば
甘えても、うるうるしててもいいんだよ、あなたは。
なんでもきちんとするのがすきならば
無理におおらかにしなくたってい。
たま〜に誰かの失敗をニコッと笑って見過ごせばいい。
毎日食べて、寝て、笑顔を忘れなければ
自分に厳しくしても、気が済むまでやってもいいんだよ、あなたは。
生産性とか発展とか業績(成績)とか人は言うけれど、
人生全体の中でバランスとっていればいいんじゃないかな。
みんな、何かにとらわれ過ぎだよ。
よくなろうとし過ぎだよ。
いい子 いい親 いい大人・・・
やり過ぎはやらないよりよくないよ。
そんなにがんばらないでさ〜
私たちはもっと自由でいい。
秩序を乱しちゃいけないけれど
自分のココロやライフスタイルを大切にして、
ココロの声を聴いて(聴こえない人は感じて)
ライフスタイルに添う方法で解決していけばいい。
自分にとっての最善は
誰かのそれとは違うけど
そんなの「あったりまえじゃん!」
違う人間なんだから。
笑っちゃえばいい。
そして、あなたはあなたのままで、本当にココロが喜ぶやり方で生きていけばいい。
元気になったら、勇気が湧いて、誰かを勇気づけられるようになるから。
誰かのために、何かのために行動したくなるから。
いろんな人がいる社会の方が豊かだと思う。
いろんな価値観がある世界の方が豊かだと思う。
自分が人と違うことを認めて
人は自分と違うことを認めて
許し合おうよ。受け入れようよ。
そうやって生きてみて、
それでもやっぱり窮屈だなって困ったなって崖っぷちだなって思ったら
ライフスタイルはいつでも変えられるんです。
それからでも遅くない。
